告知されるまで 1 − 8年前のできごと −

11/01/2022

告知

t f B! P L


実は今回、乳がんの告知を受ける8年前、2016年にも乳がんの疑いがあった

当時わたしは31歳。 在籍していた会社の健康診断でマンモグラフィーを受けてみたところひっかかったのだ。「石灰化」という言葉を初めて知り、検索をしてみると「石灰化の多くは良性」と書かれていた。しかし、良性かどうかを調べるのにはどういった検査が必要なのかも、どこに検査に行けばよいのかも分からない。そこで、人事をやっていたこともあり仲良くしていた産業医に相談したところ、先生の知人がやっている乳腺のクリニックがあるとのことで、そこで検査をしてもらうこととなった。

そのクリニックの女医さんは「石灰化はだいたいが良性なの」と笑顔で話してくれたが、検査が始まったとたん顔つきが変わり深刻な表情を浮かべ、そして「私の感覚だと4割くらいの確率で悪性だと思う」「ここだと詳しい検査ができないから」と大きな病院を紹介された。

ああ、もう悪い結果なんだろうな、
そう思った。4割と言われたのにもかかわらず。

8年も経ったので、その頃にどんな気持ちで生活をしていたかは忘れてしまったのだけれど、ひとつだけうっすらと記憶に残っているエピソードがある。

ちょうどこの頃に32歳の誕生日を迎えて、当時お付き合いをしていた彼がちょっといいレストランを予約してくれていた。当時、乳がんの詳しい検査をしていることはごく数人の友人にしか伝えていなかった。普段、彼とは電話をしなかったし、LINEで報告する話でもないなと思い、その日直接伝えようと思っていた。しかし、レストランにたどり着き、病気のことを口に出そうとするだけで気持ち悪くなってしまった。また、彼がどんな反応をするかも不安でたまらず、いろんなストレスから吐き気がしてきてしまい、ほとんど食事に手をつけることができなかった。そして「食欲がないなら出よう」と言われて、コースの途中でレストランを出たんだった。

せっかく予約してくれたのに台無しにしてしまった申し訳なさやいろんな感情がぐちゃぐちゃになり、泣き出したわたしに彼は「また元気なときに来ればいいよ」と言ってくれた。そしてレストランの入ったビルの外でわんわん泣きながら、ようやく病気の可能性があること、今日の気持ち悪さはストレスから来ていると思うってことを話したんだった。(ここで「今はその彼の苗字になってます」と書ければいい話になってたのだけど・・・以下略。笑)

このエピソードは、うっすらとしか覚えていなかったのだけど、当時この出来事を友達に伝えたLINEを見返して鮮明に思い出した。そして、「ああ、8年前のわたしも今回わたしが味わったのと似たような気持ちを味わっていたんだな」と懐かしく思った。この気持ちを味わったのが8年前は検査中、そして今回は告知後だったという違いはあるけれど。


後日、わたしは紹介された大きな病院に向かった。 大病院あるあるで数時間待たされ、主治医に会い、たしかこの日もいろいろと検査をし、そして針生検の予約をした。針生検というのは、組織診の一種。局所麻酔をして太めの針を病変部に刺し、組織の一部を取り出し、がん細胞があるかどうかを顕微鏡で調べる検査のことだ。

ついに訪れた針生検当日。処置室に通され、上半身裸でベッドの上に横たわり、主治医の先生が入ってきて局所麻酔を打たれる。部屋が真っ暗になる。恐怖を感じる。バチンバチンという音が部屋に響き渡る。事前の説明と予習とで組織を取るときに大きな音がなるのは知っていた。麻酔のおかげで身体の痛みはないけれど、心臓は経験したことがないほどバクバクしていた。

それから毎日祈り続けた。 どうか、どうか悪い結果ではありませんように。


それから数週間後に生検の結果を聞きに行った。診断は以下のとおり。


乳腺症に伴う変化。間質に線維化が見られ、乳管上皮の増生を伴い、軽度内腔の拡張した小葉構造を認める。乳管周囲に軽度のリンパ球湿潤あり。乳管内に泡沫状細胞の増生が見られる。悪性所見なし。


わたしのネガティブ予想は幸いにも裏切られ、数か月にわたる心配は杞憂に終わった。こんなことならレストランの美味しいごはん、食べておけばよかったよね。


つづく。

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