告知の日 2 − 受容のプロセス −

11/13/2022

告知

t f B! P L

告知を受け、待合室に戻った。数年前の記憶がよみがえった。

当時在籍していた会社で同僚ががんに罹患した。わたしは人事の仕事をしていて、産業医との面談の調整や休職の手続きをするかたちで関わっていたのだが、段々とその同僚の様子が変わっていった。

具体的に言うと、もともと穏やかな性格だったのに、攻撃的になり、産業医との面談のなかで、会社や上司や産業医に対しての強い怒りを示すようになったというのだ。「どうして会社は、産業医はわかってくれないんだ!もっと気遣ってくれるべきだ!自分はこんなに大変だというのに!」

補足すると会社の福利厚生制度は割と整っているほうだった。会社としても制度に則って、しっかり休職の案内をし、業務面の調整もし、できるかぎりの対応はしていたように思う。にもかかわらずだった。産業医からその報告を受け、じゃあどう対応するのが良いかと思いあぐねたところ、産業医が「受容のプロセス」について説明をしてくれた。

人は、がんのような病におかされたことを知ったとき「1. 否認⇒2. 怒り⇒3. 取引⇒4. 抑うつ⇒5. 受容」というプロセスをふむ。

1. 否認「自分が病気にかかったなんてうそだ」
2. 怒り「どうして自分が病気にならなきゃいけないんだ、もっと悪いことをしている人はいるのに」
3. 取引「気を付けて生活していくから、どうか治ってほしい」
4. 抑うつ「これだけ祈ってもだめなのか、生きていても仕方ない」

このような気持ちの変化を経て、5番目のステップとして、自分が病気であることを認めることができ、治療に取り組んでいくことができる、ということだった。

なお、このブログを書くのに詳しく調べたところ、これはアメリカの精神科医であるエリザベス・キューブラー・ロス氏が著書『死ぬ瞬間』で記した「死の受容のプロセス」というものがもとになっていた。実際は死期が近い患者が自分の死を受け入れるまでのプロセスを示したものだが、重い病気や障害などに立ち向かう人も同じ過程をたどると言われているようだ。

わたしは産業医に説明をしてもらい知識を得ることができたから、そして人事という立場だったから冷静に対応ができたけれど、そうでなかったらどうだっただろう。相手が同僚ではなく、家族や友人だったらどう思っただろう。「病気だから混乱しているのかな、かわいそうに」と同情のような気持ちを抱いただろうか。「こっちだって心配してるのにな」とやるせない気持ちになっただろうか。

怖かった。それがわたしにも近い将来訪れるのかもしれない。
この病気に、身体だけでなく、心までも支配され、わたしが大切だと思っているまわりの人たちへ怒りをぶつけてしまうかもしれない。自分が変わっていってしまうこと、そしてようやく手に入れた平凡だけど平穏な毎日が失われることが怖かった。わたしが変わってしまうことで、大切な人たちとの関係性まで壊れていってしまうのかもしれない。漠然とした不安が頭の中を埋め尽くした。

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