告知後、お会計を待つ間、検査結果を誰に伝えようかと考えていた。
でも今ここで誰かに連絡をして、そしてすぐにLINEの返信がきたら、ましてや電話でも来てしまったら、その通知を見るだけで、涙があふれだしてしまいそうな気がした。せめてそれは、クリニックを出てからにしたかった。
お会計を終え、駅に向かう途中に「電話で報告しようかと思ったけれど、泣いてしまいそうだからまずはLINEで」と前置きし、彼に検査の結果について報告をした。「家に着いてから電話したい」とも書いた。そして、仲の良い友人たち数人にもLINEで報告をした。
帰りの電車の中でiPhoneを手にする。たぶんこんなワードを検索したと思う。
「乳がん」「乳がん 治療」「乳がん 妊娠」
そのとき見たページのひとつが おしえて乳がんのコト「乳がん患者さん・ご家族の心のケア」だった。
「ひどく落ち込むのは当たり前、2週間くらいのうちにだんだんと戻っていくことが多い」ということが書かれていた。このあと、まさにこのとおりの経過をたどっていくことになるのだけれど、この落ちていく直前のタイミングで、このあと自分に訪れるであろうひどい落ち込みを覚悟することができたのはよかったと思う。(ここにもひとつ前のブログに書いた受容のプロセスのことが書いてありますね)
家に着き、楽な服装に着替えて、ひと口お水を飲んで、呼吸を整えて、彼に電話をした。
自分のことは自分が一番よく分かっているもので、案の定、声を聞いたらぼろぼろ涙が出てきてしまった。大泣きしながらも、頭には、あの強い怒りを示した社員のこと、待合室で恐れていた見た目も心も変わっていく様子を見せることの恐怖、そして電車の中で調べた「乳がん 妊娠」の検索結果(これについては、別の投稿で少し詳しく書きたい)が次々と浮かんできた。
「このまま付き合っていてよいのかなって思っている」
「もしかしたら妊娠するのが難しくなってしまうかもしれない」
と口に出していた。だって気が動転していた。嫌われてしまうなら、負担に思われてしまうなら、早く決着をつけたほうがいいと焦っていた。この先、病気と闘っていくために、プライベートのこと、仕事のこと、ひとつひとつを早急に整理して身軽になっていかなければいけないと思っていた。
口に出した瞬間の、相手の反応を聞いて、しまったと思った。「そうは言ったけれど、本当はこのあと精神的に辛い状況が続くと思うから、せめて手術や治療の間だけでも支えてくれたら嬉しい」そんなようなことも付け加えたと思う。でも、たぶん、きっと、もう遅かった。このとき、こんなことをわたしから口に出していなければ、もしかしたら3日後に別れることにはなっていなかったのかもしれない。人生に、たらればなんて意味はないのだけれど。
彼との電話を切ると、LINEを送っていた親友Rからの着信履歴があった。それを見ただけでまた涙があふれた。嬉しい報告をするといつでも喜んでくれて、悲しい報告をするといつも寄り添ってくれる。きっと今回も寄り添ってくれるのだろう、けれど心から寄り添ってくれることをわかっているからこそ、こんなにも重い話を聞かせてしまうのが申し訳なかった。
LINEで返信をするとすぐに電話がかかってきて、泣きじゃくりながらクリニックで言われたことを説明し、さっきの彼との電話のことも話して、うんうんと聞いてもらった。もう頭は真っ白ではなかった。2人に話をしたことで、自分ががんになったという事実が現実のこととして認識されてしまった。
他にも、家族と、友人たちのいる2つのLINEグループにも乳がんの告知を受けたことを連絡していた。最初に返信をくれたのは、このあと本当にたくさん助けてもらうことになる友人Aだった。Aはもともと看護師をしていて、体調面で心配なことをこれまでもいろいろと相談してきていた。Aが送ってくれたLINEの「一緒に考えよう」という一言がありがたくてありがたくて、またぼろぼろ泣いた。
他の友人からも「この段階で見つかったのはちゃんと受診してたからだよ」「ちゃんと自分のことを大切にしていたってことだよ、えらいよ」「できることがあればなんでもするよ」と次々とあたたかいメッセージが届いた。この日は食事をとることもなく(そもそも食欲なんてなかったけれど)ずっとずっと泣き続けた。泣き疲れて眠ってしまうまで。
自分のために泣いたのなんていつぶりだっただろう。
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