日本人ということだけでなく、もともとの性格、そして家庭環境や学生時代の様々な経験や、いろんなものの積み重ねによるものだと思う。周りの人と容姿や能力やいろいろなことを比べて落ち込み「自分なんて」と思ってしまうことがよくあった。
たとえば「仕事を頑張った」とかそういうことで一時的に「今日は、今週はよく頑張ったなー」「わたしもやればできるじゃん!」のように思うことはあるけれど、自己肯定感ってそういうんじゃないんだよね。なにもしてなくても存在しているだけで偉いし尊いって思えることが自己肯定感なんだと思う。
わたしの好きな漫画のひとつ『進撃の巨人』のこのシーンのエレンの母のセリフはまさに「自己肯定感」を育てる考え方だなと感じて、強く印象に残っていた。
乳がんの告知を受けて3週間とちょっとの2022年9月29日。
この日は、これからの治療方針を決めに行く日だった。
告知を受けた後、ひどく落ち込んで食事も喉を通らなくなって、はじめて鬱のような状態を経験して、このブログのタイトルどおり「消えてしまいたい」と思ったりもして、でもそれを乗り越えて普通に生活できるようになってきて少しずつ治療のことも調べられるようになっていた。それでも毎日ジェットコースターのように気分は上がったり下がったりを繰り返していた。
その日の朝、病院に向かいながらこんな投稿をした。
少しは治療のこと勉強しようと思ってたけど、全然頭に入ってないな。でもこれから嫌でも覚えてくだろうからよし。
— ゆみ (@yumisub9) September 29, 2022
仕事して、ごはん食べて、ちゃんと病院に向かってて、とてもえらい。生きてるだけでわたしはえらい。
自己肯定感低かったけど、病気になってからは自分を褒めてあげることにしたんだ。
今思うと、自分を鼓舞したくての投稿だったような気もする。
「頑張ってるよ」「偉いよ」
この頃のわたしは、そう自分を奮い立たせることでなんとか毎日を生きていた。
でも、このとき、心からこの投稿のように感じられるようになっていたのも事実だ。
「キャンサーギフト」なんて言葉は大嫌いだけれど、「自分を褒めてあげよう」と思えるようになったことは病気を経験して得ることができたもののひとつだと思う。
特別じゃなくていい。人に認められなくてもいい。
偉大にならなくても、優れていなくても。
できないこと、できなかったことを数えなくていい。
わたしは、わたしたちは、生きているだけで、えらい。
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