告知を受けた5日後にnoteを書き、リアルな知人とも繋がっている各種SNSに載せた。
それから約1か月後、Facebookで1通のメッセージが届いた。
数年前に一度だけお会いしたことがある方からで、名前を見た瞬間に、以前奥さまを亡くされたことをFacebookで報告していたこと、そしてたしか理由は乳がんだと書いていたことを思い出した。
メッセージの内容を要約するとこうだった。
・妻が乳がんで10年闘病をしていた。
・乳がんであれば相談にのれることもあるかなと思っている。
(※当初、SNSには癌の告知を受けたことは書いていたが、どの部位であるかは書いていなかった)
・妻が使っていた人毛のウィッグがあるため、使っていただければと思っている。
病気になったことを公表してから、たくさんのありがたい反応と、少しの「なんでそんなこと言うん。。」「なんでそんな言い方するん。。」という反応があったのだが、この日もらったメッセージを見て、とても配慮が尽くされた表現のされ方で、それはわたしと同じような、いやわたしの何倍も何十倍も「なんでそんなこと言うん。。。」を経験されてきたのだろうと想像した。
一度お会いしただけという関係性で、奥さまの思い出の品をいただいてよいものかと、ものすごく悩んだのだけれど、きっといろいろ考えたうえで連絡してくださったのだろうことはメッセージからも感じていたし、だんだんとご厚意に甘えようかなという気持ちになっていった。そして何通かやり取りをさせていただき、最初にメッセージをいただいた約1か月後にお会いすることとなった。
その日、本当にいろいろな体験談やアドバイスを聞かせていただいた。
最初に「治療のこと、全部2人で決めようね」と話し合い、10年以上の闘病期間、奥さまが病院に行かれるときは毎回付き添われていたのだそうだ。主治医とも友人のように仲良くなったそうで、こんな旦那さまがいて、奥さまはすごく心強かっただろうなと、そして別れはどんなに悲しかっただろうと想像した。
この日、もらった言葉のなかで印象に残っているものが2つある。
ひとつは「落ち込むのは、どうしようか考えるのは、そうなったときでいい。」
これは、とても理解できた。まだ起きていないことに対して不安ばかりを募らせて暗く生きるよりも、元気で過ごせる期間は元気に過ごそうというのは、わたし自身、告知からのこの2か月という短い間でも感じていた心の変化であったからだ。(もちろんそうできない日もあるのだけれど。)
そして、もうひとつの言葉は、このときのわたしにはない考えだった。
「病気は闘うものであると同時にこれから付き合っていく友人のようなもの。病巣がこれ以上悪さをしないように仲良くしていくつもりで手術、治療に臨んでください。」
このときのわたしは、病巣は悪という考え方だった。
「癌を全部とってもらうんだ!悪いところを駆逐してやる!」という気持ちでいた。(『進撃の巨人』の影響を受けていることは言うまでもない。)そして、この気持ちはこのブログを書いている1年半後も大きくは変わっていない。
でも、これは、もちろん各々の考え方、捉え方の違いもあるだろうけれど。なんとなく。誤解を恐れずに言うのならば、病状が進むとそういう風に感じるようになるのかもしれないな、と感じた。この言葉からも、本当に、本当に長い月日、奥さまと一緒に闘ったことが感じられた。うまく言葉にできなかったけれど、なんだかすごく考えさせられた。
食事をしながらいろいろな話を聞かせていただき、最後にウィッグをいただき、改めてお礼を伝えた。ウィッグを譲ることを奥さまのご家族にも伝えたところ、みなさま「そういうことなら!」と、快諾してくださったのだそうだ。
ほんとにありがたいな。大切に使わせていただこう。
しっかり治療したい。生きたい。
ウィッグと一緒に、このご夫婦の想いも継いで生きていこうと思った。
なお、このブログを書いている今はわたしは無事ウィッグを卒業していて、このとき譲り受けたウィッグは(譲ってくださった方の了承を取ったうえで)Xの闘病アカウントで知り合った同病の友人にお譲りした。想いを継いで、繋いでいけたらいいなと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿